昭和 23.11 謄写版用品卸販売を始める。屋号を河合商店とする。
昭和 25.3 長野市の顧客のすすめにより、屋号を大雅堂と改名。
昭和 35.1 株式会社大雅堂設立、資本金100万円。本社を岐阜市加納大黒町1に置く。この年就業人員5名、売上高1,900万円
昭和 40.6 ㈱濱田印刷機械製造所のハマダスター小型オフセット印刷機の販売を開始。第1回「軽印刷のすべて」総合機材展を開催。印刷機材販売への転進を始めた。就業人員9名、年商5,400万円。
昭和 41.5 第2回「軽印刷のすべて」総合機材展を岐阜商工会議所にて開催。
昭和 419 ハマダスター900CD・700CD発表。
昭和 4111 第1回「大雅堂友の会」を発足。(三河三谷温泉)
昭和 42.9 第3回「軽印刷のすべて」総合機材展を開催。
昭和 43.10 第4回「軽印刷のすべて」総合機材展を開催。
昭和 44.8 オフセット印刷技術講習会を岐阜南市民会館で開催。入場者200名を越す盛況。
昭和 45.10 この年就業人員13名、年商1億7,900万円となる。
昭和 46.6 岐阜市茜部大野2に鉄骨2階建モルタル仕上げの新社屋完成。これを期に謄写版用品の取り扱いを漸次減少し、総合的な印刷機材の専門商社として進む方針を明らかにした。
昭和 51.2 最新印刷機材展を開催。(於:岐阜商工会議所)
昭和 51.5 第1回AP展に機材出品。(於:名古屋吹上ホール)
昭和 52.2 タイプライターによる本格組版講習会開催。(岐阜・名古屋・津)
昭和 52.5 中型印刷機として篠原鉄工所フジオフセットの取り扱い発表会開催。
昭和 55.4 ’80大雅堂プリンティングフェア「80年代への対応」を岐阜産業会館大ホールに於いて単独開催。過去最大の規模となり、入場者2,000名を越す。
昭和 55.10 名古屋市中区三の丸に名古屋営業所を開設。(スタッフ5名)
昭和 55.10 名古屋印刷文化展に機材を出品。営業所開設披露を行なう。この年就業人員26名年商7億9,000万円。
昭和 56.4 岐阜印刷関連機材展が岐阜印刷工業組合の主催により開催。(於:岐阜産業会館)
昭和 57.3 ’82大雅堂プリンティングフェア「OA時代への対応」開催。(於:岐阜産業会館)
昭和 57.5 第1回雅会親睦ゴルフ大会開催。参加56名(於:岐阜関C.C)
昭和 58.4 ワープロの出現により、文字組版に革命が起きる事を予想し、社内に「中部文字情報センター」を設立。組版作業及びオペレーター教育を実施。
昭和 58.10 名古屋営業所閉鎖。
昭和 60.4 ’85大雅堂プリンティングフェア「21世紀をめざして」開催。電子機器の出品多数。(於:岐阜産業会館)
昭和 62.1 テレホンカードを始めとするカード印刷の需要が高まり、カード印刷セミナーを開催。(於:サンライフ岐阜)
昭和 62.5 ’87大雅堂プリンティングフェア「高付加価値の追求」開催。史上空前の来場者と売上契約を得た。
昭和 62.9 岐阜市茜部本郷1に鉄筋3階建(延1,100㎡)の新社屋完成。これを期に社名を「大雅」(通称タイガ)と改名する。
昭和 62.7 第5回AP'88全国印刷関連機材展に出品。(於:名古屋市)
平成 3. 8 ショールームを利用したミニ展示会の開催を始める。
平成 5. 6 ‘93タイガプリンティングフェア開催。(於:岐阜産業会館)
平成 7. 6 ‘95タイガプリンティングフェア開催。(於:岐阜産業会館)
平成 7. 9 理想科学工業㈱の正式代理店となる。リソグラフSR7200販売開始。オンデマンド印刷機が印刷業界で使われ始める。
平成 9. 6 ’97タイガプリンティングフェア開催。(於:岐阜産業会館)
平成 10.8 デジタルソリューション課を新たに設ける。本格的なカラーDTP時代になる。
平成 11.6 ‘99タイガプリンティングフェア開催。(於:岐阜産業会館)
平成 11.9 カラーレーザープリンターがオンデマンド印刷機として扱われるようになる。
平成 11.9 コニカCleverPress販売開始。本格的オンデマンド時代が始まる。
平成 13.6 2001タイガプリンティングフェア「共創ネットワーク」開催。(於:岐阜産業会館)
平成 17.9 コニカカラーオンデマンド印刷機Color Clever Press51Nの本格的販売開始。
平成 21.8 ハマダ印刷機の解散により、名古屋営業所の2名採用。名古屋営業所開設。
平成 23.8 中古機サイト開設。機材屋同士のマッチングサイトの運営を始める。同時に古物商の資格も取得。東京営業所開設。ミシマのオフセットユーザーの譲渡。
平成 29.8 本社ショールームに中古機展示室及びオンデマンド印刷製品の展示室開設。